第16回 飯縄山 戸隠山大会 レポート

大会主宰

坂口三郎

来賓

長野市長

加藤久雄

総務部長

荻原茂行

実行委員長

松田美宏

来賓

岳連最高顧問

若林けんた

戸隠山2班SL

岡沢 隆

大会隊長

大蔵喜福

来賓

長野岳連顧問

小松 裕

戸隠山3班SL

堀内宏道

大会顧問

中嶋 豊

来賓

戸隠観光協会長

極意憲雄

戸隠山3班

松木 靖

戸隠山主班長

佐々木常念

山口県山岳連盟

武永計介

戸隠山3班

吉原健二

戸隠山3班長

吉本照久

大分県山岳連盟

首藤宏史

飯縄山2班長

石川祥子

トレッキング講師

門田美代子

三重県山岳連盟

大川吉崇

飯縄山3班長

小池まさみ

東京都山岳連盟

澁澤由紀子

賑やかし隊長

宮坂浪子

香川県山岳連盟

柴崎光子

事務局会計

清水静代

茨城県山岳連盟

白石忠男

芸能部

神谷ありこ

大会事務局長

矢沢裕子


[レポート1]

・[レポート2]

・[レポート3]



第16回登山フェスティバルを終えて


 大会主宰

日本山岳協会顧問(元会長)

坂口 三郎

 修験道の聖地、戸隠山、飯縄山を主会場として開催された今年の大会は、好天に恵まれ、事故もなく、成功のうちに終了することが出来ました。

全国各地から参加された山仲間の皆様、そしてこの大会を運営された地元長野の皆様ご苦労様でした。有意義で実り多い山旅が出来ましたことに感謝申し上げます。

13日、開会を前に、戸隠神社、中社本殿において安全祈願祭と太々神楽の奉納を行いました。これは実に厳粛、荘厳なもので、未だ経験したことのない立派な行事でありました。

過去15回の大会の御礼と今後の登山の安全と盛会を、謹んで祈願いたしました。

次に、14日の私の飯縄山の山行を振り返って見ます。昨年末、横行結腸進行癌の手術をし、併せて心房細動があり、大動脈弁閉鎖不全、僧房弁閉鎖不全と診断され、医師から「激しい運動は控えるよう」に言われております。しかし手術後、飯縄山を目標にトレーニングを積んで参りました。やっと標高差350メートル位まで歩ける状態になりました。

そこで当日は、登山中はいつも手離した事のないカメラはホテルに置き、必要装備は同行の鈴木会長に預け、空荷でダブルストックという姿で入山しました。体調も上々、スタートも早かったこともあり、西登山道(中社への道)分岐点が11:00で予定より20分の遅れでした。アンカーの中嶋豊顧問は渋澤さんとともにこの地点から下山する心算だったらしいのですが、私は頂上に行くことにしました。

頂上で冷汁の「おもてなし」を受け、おにぎりを美味しくいただきました。ご馳走様。

その結果として、私どものパーティーは予定を変更して、現地スタッフとともに中社に下山することになりました。

集団登山というものは、予定通り運営することが大切なことであります。私の脚が遅いため、皆様にご迷惑をおかけし、申し訳なく、猛省している処であります。

昭和53年、私は長野国体の審判長を務めたのでありますが、その会場となった柵小学校が長野市立戸隠地質化石博物館となって、シンシュウゾウやダイカイギュウなどの新知識をわれわれに教えてくれたのも、新しい発見でありました。そこの一端に、登山界のパイオニアの展示もありました。今後一層の充実、発展を希うものであります。

今大会へのご支援ご協力有難うございました。 来年も又信州の山でお逢いしましょう。

 


第16回坂口登山フェスティバル

飯縄山 戸隠山大会の御礼


大会実行委員長

長野県山岳連盟顧問

松田 美宏

 

 初回のSMFの集いは、ここ飯縄山でした。山頂からは、白馬三山から北アルプスの全景、南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳、浅間連邦や志賀の山々、富士の山と360度の大展望。春よし・夏よし・秋もよし・冬は元旦登山もあって、四季すべて楽しめる、正に市民の憩いの山です。初回時は長野市の最高峰でしたが、現在は、戸隠村と合併して戸隠連峰高妻山が最高峰となりました。当時は「坂口さんと登ろう登山会」と称して、登山のスタッフは、リーダーをはじめ女性のみ、男性のスタッフはボッカのみが参加を許されたものです。山頂で皆さんと一緒に食事作りが売りの登山会でした。その名残りが、今回山頂での「冷や汁」作りとなったようです。皆さんにはお手伝い頂けたでしょうか。その夜の歓迎会は、旧知たちが戸隠小舎にみんな集まり結構盛大でした。

その後、長野国体の行われた、北信五岳(飯縄山・戸隠山・黒姫山・妙高山・斑尾山)をメインとして続き、後、国体開催地とは離れ、長野全県内の山へと変革しています。参加者のご家族もご一緒頂けるようにと観光コースも設けたことがありましたが、参加者は1名のみで途絶えました。しかし16回も続くと、かつてのヒマラヤサミッターも、お歳を召され、観光コース・トレッキングコースも必要なコースとなってきました。とは言え、やはり、皆さんとの再会は嬉しくも楽しく。山は忘れがたく、岳友は懐かしく、百瀬慎太郎の「山を想えば人恋し、人を想えば山恋し」と、私も山から離れることが出来ない思いです。みなさんも同じ心境ではないでしょうか。坂口主宰の粘り強い強靭さにあやかり、昔を偲びながら更に歩みを続けたいと思います。故、みなさんと一緒に山登りが出来ますことを、この上ない喜びに存じます。

来年は、NHK大河ドラマ「真田丸」がテーマです。信州真田の地と、日の本一の強者と言われた真田幸村の生涯、またその一族が辿った道を訪ね歩いてみたいと思います。また来年も元気でみなさんと再会できますことを祈念しております。

 


『山は動く』生きている大自然を戸隠で教わる。


大会隊長(国際登山家)

長野県山岳連盟顧問

大蔵 喜福

 40℃超えが次々と・・・今年の桁違いな猛暑は、地球温暖化の長期化を予想させるが、いずれにせよ局地的豪雨や台風の襲来を誘発する海水温上昇や、蓄高温度の高気圧がその要因。恵みの雨ならずの暴雨は、山、沢の大規模土砂崩れ、河川堤防の決壊などによる水害、ダム放水の人為的水害、傾斜地の崩壊……西日本一帯に多くの災害を起こした。甚大な被害は激甚災害に指定され、政府もてんやわんやで対策は後手に回っている。

今回の第16回坂口登山フェスティバルは飯縄山・戸隠山大会で、7月13日から3日間盛りだくさんのプログラムが組まれ、楽しみにしていた。昨年のようにアラスカから直接のタイトさはなく余裕もあった。毎回百人を超える全国からの参加者の皆さんに会えることは、私にとっても年に一度の大イベント、ルーチンの大事である。戸隠中社本殿での安全登山祈願祭は厳かなお神楽に見ほれ、拝礼、玉串と荘厳な体験をさせてもらった。午後からは主会場で講演会があった。国立公園の役割と業務の話を環境省信越自然環境事務所次長の中野氏が、上信越高原国立公園から分離して新しく独立した妙高戸隠連山国立公園の特徴と管理運営の新しい発想について自然保護補佐官の前田久美子さんにお話しいただいた。目新しく新鮮でとてもためになった。飯縄全国惣社宮司、越志さんの大明神と千日太夫の話も面白く聞いた。最後の講演は「戸隠連山の成り立ち」戸隠地質化石博物館の田辺智隆館長によるお話だ。大きな声と軽快な語り口で始まる。約2000万年前、戸隠周辺はフォッサ・マグナの陥没により海であった。戸隠山は500万年前の海底火山噴火で出来上がり、200万年前から隆起して約2000mの山になった。その生い立ちを、発見された貝類やダイカイギュウ(ジュゴンの先祖)、クジラなど多くの海洋生物の化石から解き明かした。大地は生きている「山は動く、武田信玄は嘘っぱちだ」という比喩と共にその面白い語り口に引き込まれた。溶岩(凝灰角礫岩)で形成された鋸状の険しい戸隠山は、その山容から伝説の舞台から信仰の対象になった一面も持つが、その大自然の多様な歴史にぐんぐん引き込まれた。千曲川の川底が山の稜線になったり、長野善光寺盆地がどう沈んだか、火山の噴火や地震で幾度も隆起、陥没を繰り返した。大地の変化をスローモーションで見たようだった。田辺さんは"地質学はすべての学問の土台である"といった教育者で地質学者の保科百助(1867〜1911)の名言を座右の銘としている。なるほどと感心してしまった。

翌日、戸隠山へ登った。はるか昔に一度来たが、奥社までの神々しい杉並木はよく覚えているが、登山そのものは覚えが薄い。鎖が新調され、安全対策のプロテクションも打ち直されたルートを見ると隔世の感がある。、鎖を掴んでしまうと怖さが増し、若かりし頃の軽快感はない。年は取りたくないものだ。登りながら、田辺さんお話を咀嚼した。一番頭に残ったのが戸隠山の隆起のスピードだ。その激しさは平均すると1万年で10mである。1年に1oとは? 隆起して削られる山容は、このほど発見された100年ほど前の写真からもよくわかる。ウエストン夫人が写る蟻の塔渡りは、植物に覆われ稜線の幅も広く、西側不動沢への150mに及ぶ断崖は覗けない。見学に行った博物館では、この夏『めざせ!戸隠山−未知を求めて登った人々−』というという企画展を開催、興味ある資料が一杯だった。

最終日、田辺さんの案内で鬼女紅葉伝説の荒倉山あたりを散策した。その時、林道の展望地で飯縄山より飯綱高原、そして大頭山の丘陵地に広がる裾花集落を垣間見た。田辺さんは「人は住めるところを決めるにはまず湧き水、次に日当たりのよい農耕地です。災害が起きず安定して生きられるところをしっかり見極めて暮らしてきたのです。自然を学ぶことの大切さがわかるでしょう。」河川の堤防など全くなかった古い時代には、雨が降れば洪水は当たり前だったろう。人の生活圏?を脅かす被害は甚大な模様だ。家、道路、橋、電柱、線路、田畑……電気、水道などインフラ、ヒトが快適に住まうための文明が、ことごとく破壊される。戦火の渦のような言い方になったが、元をただせば人為がそうさせている。誰だって豪雨で土砂崩れが来るとわかっている場所には棲まないだろうが、人智レベルでは大自然に勝つことはできない。人は住んではいけないところを住めるようにしているから起こることと認識すべきである。

 


第16回坂口登山フェスティバルに参加して


元長野県警察山岳遭難救助隊長

 大会相談役顧問

 中嶋 豊

 今年の夏の天候は、まさに異常ですね。台風が逆走したり、各地の集中豪雨で多くの方が被災されました。そして7月・8月の連日の猛暑日と、いったい地球はどうなってしまうのでしょうか。

さて、第16回坂口登山フェスティバルは、全国各地から大勢の皆さんに参加していただき盛大に開催されました。私は今回も事務局の矢沢さんから声を掛けていただき、苗場山、唐松岳に続いて3度目の参加となりましたが、数ヶ月前に第3腰椎すべり症を患い、両足の痺れがひどく、残念ながら戸隠登山は断念せざるを得ませんでした。その代わりの飯縄山では、貴重な体験をさせていただきました。それは年配のがんばりです。その一人、坂口三郎会長は91歳という年齢と、直前に健康を損ねて入院された経緯があるにもかかわらず、それらを感じさせないパワーを発揮され、「自分の体力がどのくらいか確認するんだ。」との強い意志と気力で登頂を果たされました。「自分が同じ歳になったとしたらこんなに歩けるんだろうか」と深く考えさせられるとともに、ゆっくりゆっくり頂上を目指して歩を進める姿に感動しました。また、もう一人は、都岳連の澁澤由紀子さん(82)です。飯縄班のアンカーを仰せつかった私は、下山までずっと澁澤さんご一緒しましたが、やはり下を向いて一歩一歩頂上を目指す姿に感動しました。途中、二人で世間話やお家の話などをしながら西新道分岐に着く頃、徐々に足取りが重くなってきた澁澤さんが、「ここまで来られたから十分です、ここまでにして引き返します。」と潔く下山を決意されました。お二人の山に対する思い入れの深さに接して「山って、本当に人を引きつける魅力があるんだな」と改めて感じました。貴重な体験をさせていただいた上に、澁澤さんからはビールの差し入れをいただき、最終日にはお礼の言葉をかけていただくなど、とても清々しい気持ちになりました。

今回参加させていただき、「人それぞれに自分の登山があるんだな」と感じさせられました。この会がずっと続くようにお願いしたいと思います。

今回も企画・実行していただいた松田大会委員長、矢沢事務局長はじめ事務局の皆さんの御労苦に感謝致しますとともに、全国各地から参加された皆さんの御健康とご多幸を祈念申しあげます。お疲れさまでした、そして今回も素晴らしい出会いをありがとうございました。

追記

平成30年7月30日 イラスト地図で登る「長野県の名峰百選」上巻(信濃毎日新聞社)が発刊されました。書店の他、アマゾン等ネットでも購入できます。下巻は来年発刊の予定です。宜しくお願いいたします。

 

戸隠山大会に参加して


戸隠登山ガイド組合長

戸隠遭対協救助隊長

吉本 照久

 皆様こんにちは、戸隠の吉本です。

坂口登山フェスティバルの成功を、まずはお喜び申し上げます。

今回はお誘いを受け、皆様の戸隠山登山のサポートができ良い思い出になりました。私たちには通いなれた戸隠山ですが、皆様にはいかがでしたでしょうか?聞きしに勝る岩稜でしたか?まあ、こんなもんかな!?でしたでしょうか(*^^*)3チームに分かれそれぞれが良い足取りで進んだように思います。大人数になるとなかなかに難しい山行になるのですが、サポート体制がしっかりしていたのが良かったようです。今夏は暑く、何人かは撤退するのではないかと思っておりましたが日ごろの皆様のトレーニングの成果が出て全員での登頂ができたようですね。素晴らしいですね。今後も日本中の山を楽しんでいただけたらと思っております。

また、長野においでの時は戸隠に足をお運びいただけると嬉しく思います。戸隠の山の中で見かけましたらお声をおかけくださいませ。

私は戸隠の山々が大好きです。ですから、戸隠においでいただいた方々にも大好きになって帰っていただきたいと思ってガイドをしております。是非また、お会いできる日ことを楽しみにしています。

最後になりましたが、事務局様にはいろいろとお心遣いしていただきありがとうございました。楽しく、夜も昼も過ごさせていただきました。皆さんのパワーが凄い、特に夜の部は勉強になりました(笑)

 


坂口登山フェスティバル 飯縄山・戸隠山大会


戸隠登山ガイド組合理事 戸隠小舎オーナー

戸隠山主班長

佐々木常念

 第16回の坂口登山フェスティバルが盛大に、そして大成功だったこと、本当に嬉しく思います。第一回は、飯縄山だったので15年ぶりに戸隠の地へ戻って開催頂き本当にありがとうございました。

坂口様を始め、関係者の方々本当に細かい準備から運営までありがとうございました。

戸隠の地へお出でいただき、戸隠小舎をご利用いただき感謝申し上げます。

13日の戸隠神社での御神楽奉納から始まり、素晴らしい講演会。夜はパーティーで沢山ご馳走になりました。

14日の「戸隠山」登山では、主班長と言う大役を務めさせて頂き、標高は低いながらも危険度の高い山なので、緊張感ある中での山行となりましたが、皆様の体力と各班のリーダーのご協力の元、全員元気に登頂できました。

まだまだ、この記念登山が続いていく事を祈念致します。有難うございました。

 


第16回坂口登山フェスティバル7月14日

楽しかったトレッキングの思い出


飯綱高原観光協会ボランティア会ガイド

飯綱高原トレッキング班長

門田美代子

 第16回坂口記念フェスティバル、2日目のトレッキングガイドとして8:30〜14:00位まで案内させていただきました。長年登山で鍛えられた、年を感じさせない立派な姿勢と、軽やかな足取り、豊富な知識をお持ちの方々に、私の身と心はクラクラとなりました。

でも、皆さんのおい出を歓迎してか、山は美味しい桑の実を用意してくれてホッとしました。

クワの木を見上げながら、昔、口の中が紫色なるまで食べた桑の実に、幼少時代の生活を思い出しながら「あの時、よく我慢して頑張ったね」と褒めたたえながら、今日ある日を喜び合いました。美味しい桑の実を少々いただいた後は、「苦いキハダの実をどうぞ」ということで、昨年の黒い実を口に含んでみました。この木は昔、なかなか手に入らなかった胃薬の代わりの木でした。戦争にいく夫や息子のために、母は必死で山を歩き回り、取って戦地に持たせたキハダの木。やはり「良薬は口に苦がし」のとおり、いつまでも口に残りましたね。でもこのキハダで兵隊さんが助かったのだと思うと、大座法師池で人知れずポツン、ポツンと黙って立っている姿をみると、思わず「ありがとう」と言いたくなりますね。

道すがら、ノリウツギの花が今盛りと咲いていたり、花は終わってしまいましたが毒ツツジの異名を持つレンゲツツジの中に、「私の真っ白な肌も思い出して」といいたそうな白樺の木がたち並らんでいたり、豊かな夏の山をみせてくれました。また春に山菜として食べられたコシアブラ、黄色い汁を出すタケニグサ‥‥等々、人と同じように長い歴史を力強く生きぬいてきた、植物達のささやきを理解して頂けたらこの上なく嬉しく思います。

また、ご一緒くださった皆様にも、色々なお話をお聞きして、思い出深い一日をいただきました。

・アゼリアを出発してすぐ「赤詰草」が目に留まり、「赤詰草の漢字はどんな字でしょう」と質問したら すぐ答えて下さった中沢さん

・病気をした時、年齢より早い回復にお医者さまもびっくり、早期回復とお話し下さった大野さん

・薬関係の仕事に携わっていたので‥‥と、ウルシの丁寧な説明をして下さった方

・京都より、仲よし4人組の楽しい笑い‥‥

・にこやかな笑みをされながら、至らぬガイドを勇気づけて下さった中島さん

・いき届いた気配りをして下さったSLの中沢・市川さん‥・等々、いつまでも私の中で忘れられない方々になりそうです。登山と共に、人生を楽しく過ごされて来られた皆様の今日の日を喜び合い、たった一度のご縁であるにもかかわらず、ずっと前から一緒だったかのような楽しい、楽しい一日を過させていただいたのは、どうしたことか一期一会のご縁の不思議さを感じました。

来年も、おいしい空気を吸いに長野に来られることをお祈りし、私も皆様に負けまいと「ボケよボケよとんでいけ、身体よ身体、よく動けと」呪文を唱えながら生きていこうと思っています。

最後になりましたがこの会の企画運営をして下さった、矢沢事務局長はじめ、スタッフの方々、本当にありがとうございました。

 


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