第17回 根子岳 四阿山大会 レポート [2]

大会主宰

坂口 三郎

四日市山岳協会

西田 勝

総務部長

荻原 茂行

実行委員長

松田 美宏

愛媛県山岳連盟

西田 六助

SMF賑やかし隊

宮坂 浪子

大会顧問

中嶋 豊

愛媛県

西田 総子

子檀嶺岳主班長

宮下 慶子

三重県山岳連盟

大川 吉崇

根子岳主班長

堀内 宏道

来賓

上田市長

土屋 陽一

八ヶ岳トレイル

生駒 和夫

弘法山主班長

岡沢 隆

来賓

青木村長

北村 政夫

大分県山岳連盟

首藤 宏史

四阿山SP

吉原 健二

来賓

菅平観光協会長

松本 規男

埼玉県山岳連盟

長谷川 茂

四阿山1班SL

石川 祥子

東京都山岳連盟

澁澤 由紀子

十観山主班長

小池 まさみ

講演

山家神社宮司

押森 慎

茨城県山岳連盟

白石 忠男

会計主任

清水 静代

講演

やまぼうし代表

加々美 貴代

東京都山岳連盟

砂田 定夫

トレッキング班長

松嶋 きよこ

講師

やまぼうし学校

西牧 美二

山口県山岳連盟

武永 計介

十観山1班SL

久保 春恵

講師

やまぼうし学校

竹内 博

香川県山岳連盟

柴崎 光子

十観山2班SL

岡 寿江

京都亀山山岳会

湯浅 博

芸能部

神谷 ありこ

大会事務局長

矢沢 裕子


[レポート1]

・[レポート2]

・[レポート3]


初めてづくしの SMF


三重県

四日市山岳協会

西田 勝

 今年の開催地が根子岳・四阿山であることを予報で目にし、過去、菅平でのスキー研修や上田城・北向観音・無言館・真田氏所縁の地等への観光には訪れてはいますが、登山としてはこれまで数回企画倒れで足を踏み入れることが無かった山域であることから、是非訪れることを願っていました。 

 行動初日の天候はまずまずであり、コースも整備され、講師の卓越した説明や、流石花の百名山・根子岳の豊富な植物に満足し心を癒されました。中でもハマナスに似た北海道と本州の一部にしかないカラフトイバラは本州で初めての対面でした。天候が良ければ、間近な距離に昨年お世話になった飯縄山・戸隠山を始め、アルプスも望めたであろうに。と欲張った考えをしたことも事実です。

 行動二日目の「子檀嶺岳」は難読山名で、今まで見聞のない名で、読み方も知らない初めて知った山でした。地元では真田氏と所縁があり、また信仰の山として崇められているそうです。この日もガスがかかって幻想的な雰囲気に包まれ、雲間からは麓の青木村や上田市を俯瞰することが出来、信仰の山らしさが漂っていて素晴らしく、心に残った山行でした。

 今年の大会で、予測もしなかったことは、歓迎会レセプションでのにぎやかし隊「真田十勇士」仮装で、伊賀の忍者霧隠才蔵に選ばれたことでした。突然のことで正直戸惑いを感じましたが、良い経験をさせて頂けたとも思っています。

 お別れの会での『信州真田六文銭太鼓』の勇壮な演舞には感動しました。子供の頃に読み漁った真田十勇士の童話や、真田太平記・城塞等の小説が頭を過ぎりました。

 さらには、大会最後の締めでもある"万歳三唱"の音頭に、私如きが指名されたことも意外であり僭越な事であると恐縮しております。本来ならば三重県の御大、田中均氏が務めることが妥当でしょうが、本年度は都合により不参加だったから已むお得ないのかなとも思っています。

 以上がこのフェステェバルに7回参加させて頂いて、初めて体験した事柄でした。それが故に、寧ろ心に強く残った大会にもなったと思います。

 例年通り開会前の三師の講演につきましても、内容的に片意地張らない一般向けで理解し易く、勉強になったと、好評の声がありましたし、私もそう感じました。

 毎年のことではありますが、大会委員長・事務局長さんをはじめ、スタッフの皆様方の微に入り細に入りの懇切丁寧なる企画運営のお蔭で、三日間を無事に楽しく過ごさせて頂きましたことに衷心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 


『第17回SMF大会に感謝を・・・』


愛媛県山岳連盟 顧問(元会長)

宇和島山岳会

西田 六助

(1)はじめに

昨夏、報告書の予報を見て、今年のコースは、菅平から根子岳・四阿山に登り、上田市へ戻り、別所温泉へ。北から南への移動である。地理院地図と睨めっこをしてやっと理解できた。最近、少し厳しい歩きをすると、膝から腰へと負担を感じるようなり、あまり無理をしないようにと根子岳と十観山にしたのです。

 今年も前々夜、新造となったフエリーに乗船、全員個室である。ゆっくりできるなとの思いもあった。

 大阪に入港時は雨で、自動車道を快適に走るも、ずっと降りやみそうにない。草津PAで休憩をして走り続ける。恵那山トンネルから長野県に入ると小降りで、北に行くに従って止んできた。八島ヶ原湿原へ行って見たく、諏訪湖SAで昼食にし、前面の霧ヶ峰頂上付近は厚い雲に覆われていたが、そのコースを辿る。

しかし山頂付近になると濃いいガスで視界が効かず、おまけに雨も結構降っていた。数メートル先が見えない。やっと、湿原の駐車場に到着したが、同じでこれでは何も見えないな・・・と思い、今夜の宿泊場所である松本浅間温泉へビーナスラインを通り・扉峠から向かった。

 

 

(2) 前夜祭

翌日12日、浅間温泉から143号を通り行く予定が254号に入り上田市へ。山越えをしなくてよく早く到着した。城址の駐車場に車を置き、城跡をゆっくりと歩く。

 遊歩道から博物館前、大手門など・・係りの方に「菅平はどの方向になりますか・・」と聞くと、正面の方かなと思っていたが反対の方向を指して、教えていただいた。

 また立派な掘りが残されており、周辺は桜の老木があり、花見の頃は良いだろうな、などと悦に入る。博物館に入り見て回り、休憩時間とした。

 菅平にナビを設定して出発、上田城址の右手を迂回して、「ここは先ほど休んだ所よ・・」といいながら車を走らせた。途中に休憩して昼食の替わりを食す。

 分岐で406号方面へ、すぐ近くかなと思っていたが、なかなかどうして、しばらく走り、やっと到着した。

 受付でスタッフの方の出迎えを受け、事務局の矢沢さんなどにも出会う。

 部屋に入り、2時からの講演をどうするか・・と思いながら寝てしまったようだ。

ふと目覚め「講演に行ってみるか・・」と妻にいうと「なに言ってるの、もう5時前よ、歓迎会の時間になったよ・・」と言われる。そんなに寝ていたのかな・・?

 会場入り口の台に、ずらりと仮装用らしきものが袋に詰められており何に使うのかなと思いながら席に着く。

 歓迎式典、乾杯が終わり、少し間を置いて、感謝状贈呈があり、大分県の首藤さんについて私が呼ばれる。今回が10回目で、来年ではなかったかなとの思いがした。

途中、休むことなく参加した賜物と嬉しく受け取り、妻も喜んでいた。

 次に呼ばれて、廊下に出ると、幸村の祖父役の衣装を着せられる。眞田十勇士の仮装である。

10数人が出て来て準備をして、幸村役はとみると、中に坂口主宰が着けていた。やはり眞田の里だなとの思いがしました。会場に誘導され、皆さんの前に並び、一言ずつ話をした。参加者が参加し、このよう催しも良いがスタッフの皆さんの準備が大変だな・・・

 次いで「演舞」があり激しい動きに目を見張る。

歌声と・・毎回のことながら、心のこもったおもてなしをしていただき、感謝・感謝の気持ちです。

(3)根子岳(2207m)登山・・・別所温泉へ

 花の名山と言われるだけあって登山口からの道端にいろいろな花が多く咲いていた。

いくつかはカメラに収めたが、残念ながら名前が分からない、レンゲツツジとアヤメぐらいで、聞いてもすぐに右から左へと抜けて行く。何とか覚える方法はないものかと思案をしているが、あまり関心がないのかすぐに忘れてしまい続かない。今度時間のある時に図鑑などで調べてみよう、などと思っている間に展望台(1757m)へ到着。下方の建物もみえて、幾分霧が少なくなったようだ。しかし山頂付近は雲に覆われている。

近くにお花畑あり。気がつくと膝のサポーターを忘れていた。マァいいかと歩くも、そんなに膝の痛みも感じなかった。近くに山頂の祠が見えたので走って登ろうとしたができず、何とか早足で歩いた。すると若いスタッフの方が走って登っていた。以前はあんなに走っていたのになぁ・・と。

しかし山頂へという第1目標は達成でき一安心。

 四阿山(2354m)は雲の中で見えず。下山に向かい、ガレ場のピークが見えた。

小根子岳で、そこに向かう。四阿山はちぎれ雲がかかっていて天気が良くなりそう。元の分岐に帰り、下り始める。下方に広がる平原の中にポツンと白い牛舎小屋であろうか見えている。

避難小屋100mの標識あり。そのまま下ると左手に見えたが、少し下って昼食にした。

更に下ると、有刺鉄線があり、牛が屯していて、振り返ると根子岳・四阿山がくっきりと姿を現していた。

子供たちがサッカーをしていて、ここまで車でお迎えがと思っていたら、ドンドン歩き、分岐で案内板をみると「アスナロ専用道路」の標識あり。一般道へ出て、拾ってもらい菅平スイスホテルへ。

あまり疲れは感じなかったが、これが晴天で暑い日差しを浴びるとバテていたかもと思われた。曇り空で、涼しい風のお陰で無事に下山することができた。

ここからスタッフの先導で上田城址の駐車場へ。私は昨日回っていたので荷物の整理をしていた。荷物は少なめにといいながら、車でくるとどうしても多くなる。そこから東急REIホテル駐車場へ案内をしてもらい、今夜の宿泊場所の別所温泉南條の車が迎えに来ていて乗車。

温泉は少し硫黄の臭いがする湯で、寝る前にもう一度入ってからと思っていたが、疲れからかつい寝てしまった。

 

(4)十観山・・お別れ会

 起きてみると外は雨が降っていた。朝食後、近くの安楽寺へ座禅を組みに行く。

 座禅をしていて、こんな座禅は初めてではなかろうか、あまり記憶にない。本当に良い体験をさせてもらったものだ。

 宿舎「南條」に帰り、十観山に向かう。だいぶ時間的に遅れているようだ。

 昆虫資料館は山深いところにあり、訪れる人がいるのかな・・・?との疑問がフッと湧いた。雨は小降りであるが、雨具を着ける。

 作業道を30分程度歩いて、登山道に。山頂の下方にトイレ有。山頂は下刈りがなされた人工林であった。そのため広々とした感じがした。しかし雲が厚く視界はあまりなく残念であった。

 10分ほどで下山に向かう。登山口でスタッフの方の2台の車が待機しており、これに乗ってくださいとのこと。そのまま上田市のお別れ会会場にむかう。

 

(5)おわりに

 今回もスタッフのみなさんや参加者の方々にお世話になり、難聴の身で、ありながら皆さんのおかげで参加することができました。

 考えてみますと、第8回の木曾駒ヶ岳から休まずに良く続いたものだなとの感慨もあり、健康のありがたさと環境に恵まれたことに感謝しています。

またSMFの魅力の一つに、昨年の戸隠神社での御神楽、今回の菅平の広大な平原、そして温泉と座禅など、平素では体験できない場面が多くあり、ついつい欲を出してしまうことになりました。

 また山岳会や個人山行では行くことのない山域や地元との触れ合いがあり、楽しんでいる現状があります。しかし年齢と身体との相談をしなければならない現実を感じていることも事実です。

 何はともあれ、皆さんのおかげで人生の一端を有意義に過ごすことができたことありがとうございました。

 


SMFに感謝・感謝


愛媛県

西田 総子

 家を出る時は雨で、道中も雨が多く、あまり気が進まなかったのですが、とうとう来てしまいました。しかし受付で早速に握手を求められ「お元気でしたか、来ていただき嬉しいです」などの言葉をいただき、皆さんの温かい気持ちに触れることができ、来て良かったなとの思いを改めて感じた次第です。

 また1年ぶりに出合う方ばかしで、お互いの健康と幸せを確かめ合ったりしました。

 歓迎会の折に、主人が10回参加の感謝状をいただき、また眞田十勇士の仮装に抜擢されたこなど嬉しく思いました。

 根子岳への登りはいろいろな高山植物のお花が多く、名前は分からなくても気分的に気持ちが落ち着き、やすらぎを感じながらの登山でした。

 下って来て、砂利道をスタッフの方と話しながら歩いたこともよい思い出となったのです。

また、お別れ会の折に「六文銭太鼓」の折に、「アレ泰輝(タイキ)にそっくりやね、顔かたちから素ぶりまで・・・」と。一番年下の孫の名前で、中学1年です。            

 武将隊、銭太鼓眞田十勇士、そして六文銭太鼓など、その土地にしかない催しものを楽しむこともできました。

 やはり外に出ないと、いけないあなぁ・・・との思いです。

 スタッフの皆さん、参加者の皆さんありがとうございました。

 


坂口フェスに今年も集う


三重県山岳連盟名誉理事

鈴鹿山岳会

大川 吉崇

 第17回坂口登山フェスティバルが7月12日〜14日、信州上田市の菅平高原を中心に開かれた。私は2日目"ダボスの丘トレッキングコース"を選んだ。スイスのダボスと姉妹都市提携から名付けられたそうだが、元々牧場跡で花の種類の多い丘陵である。前日の勉強会講師の"やまぼうし自然学校"代表の加々美喜代さんがトレッキングリーダーも担当された。人間も動物なので自然から受ける感性は云々・・そして、経済学者のヘッグマン博士が提唱された「非認知能力」を養うのに自然界遊びが最適と語られた講師である。

 最終日は雨、皆さんと一緒に歩きたいが、一瞬唐松岳大会のことを思いだし、迷惑をかける可能性があるため禅宗安楽寺での座禅の後、信州の鎌倉の異名のある塩田平観光に変更させてもらった。

 真言宗智山派の前山寺、同宗派の中禅寺、その中間の神社にも樹齢500年とか800年のものが育ち、当然、建物も境内全体にその風格は訪問を充分満足させてもらった。最後に訪れた御柱祭のある生島足島神社では、赤子や幼子を伴った着飾った家族が幾組も訪れ、子孫繁栄の地域信仰の拠点を肌で感じることが出来た。信仰心が幾ら強いと言っても、人口の少ないこの地域で何故これらの寺社保存が可能であったか地元の案内人にたずねたが満足を得る回答は無かった。多分、それが昔から当然のこととのとらえ方なのだろう。

 さてさて、今回の企画も、事務局長野県の限りないもてなしの凄さで、初日の参加者選抜の真田十勇士の衣装も持ち物も全て手作りでと、年々の進化には感動を越えるものがある。今回、三重県から90歳の田中氏が外れ2人での参加で、三重高体連の重鎮西田先生からマジックを持っていかないかとの誘いが在り、皆さんへのお礼も兼ねて披露させてもらった。それにしても松田実行委員長と矢沢事務局長を中心とした長野県の皆さんのこの会にかける情熱の素晴らしさは秀でている。中途半端な参加者の私だが、この紙面をお借りして、何事にも配慮有る事務局の方々に深くお礼を申し上げる次第である。

 http://ohkawa-a.cocolog-nifty.com/

  

 


第17回坂口登山フェスティバルに参加して


八ヶ岳山麓スーパートレイル

生駒 和夫

 役員・実行委員会の皆様、お疲れ様でした。大変お世話になり有難うございました。

根子岳・四阿山大会(7月12日?14日)でしたが、私は2日目の別所温泉からの参加で、最終日の弘法山(スリリングな岩綾登山)コースに申し込んでおりました。当日は、晴れの祈りも虚しく、前日の地元の雨乞の祭(別所地区の奇祭・岳の幟)が勝り、昨夜半からの雨が上がらず、生憎の天気で中止となり、急遽コースを変更し安楽寺で座禅を組んだ後、お陰様で清々しい気持ちで十観山に登ることが出来ました。安全の為の前日のルート工作や当日早朝のザイル撤収など、地元の山岳会の皆様には何時もながら大変おせわになりました。弘法山には改めて挑戦したいと思っています。また、90名近い大人数の大会を周到に準備された、企画・運営は大変だったと推察します。無事に大会を終えられたことに改めて感謝します。日本全国からお集まりになられた山を愛する方々との出会いは又とない楽しみです。山だけでなく宴会やアトラクションもあり同室の宮城の方とも親しくなり、来年の山行が今から楽しみです。またお誘い頂ければ嬉しいです。よろしくお願いします。

 


第17回SMFに参加して


大分県山岳連盟 顧問(元会長)

首藤 宏史

 1年ぶりとはいえ、お元気な坂口主宰はじめ、多くの方々とお会いでき、嬉しく思いました。会の開催にかかわった実行委員会を中心とした皆さんのご努力に敬意を表します。

2日日は、根子岳の登山に参加させて頂きましたが、登るほどに霧がとれ、様々な花々に出会いながら、頂上に立ち四周の景色を見ることができました。

花の百名山と書いてありましたので。田中澄江さんことを思い出し、田中さんから頂いた「花の百名山」を開いてみました。実は、昭和53年の秋、田中さんの登山グループを大分県の傾山に案内した折に、「山と花亅とサイン入りの本を頂きました。それによりますと、戦後10年たった40代の頃。菅平の旅館で、小学校の教師を中心に学校演劇について研究する夏期講習会が催された折、主催者に根子岳に登りたいと希望すると、小学校の男の先生が一緒に行ってくれることになりました。

何の準備もしてこなかったので、宿の浴衣を着て、宿の女主人の半幅帯を借り、裾をからげて素足に藁草履。8時の電車で上野に帰らねばならない用事があるので、6時半までには帰らねばならないと考え、650mの標高差の往復を4時間とみて、2時に懐中電灯をもって出発。空いっぱいの星空があざやかで美しい。懐中電灯の光の中に、コケモモ、イワカガミ、ガンコウランなどが入ってきた。4時50分頂上着。朝焼けの中にたくさんの山々が連なり、うれし涙が出たが、感傷に浸るまもなく走るようにして下山。登りには気づかなかったウメバチソウが点々と白い花を咲かせていたことが強く印象に残ったようで、根子岳の花としてウメバチソウを選んだようです。

今までSMFで多くの「花の百名山」に登りながらも、あまり意識しませんでしたが、今回は特に田中澄江さんのことが頭に浮かんできました。

今回もまたよい思い出をつくることができました。

お世話頂いた、坂口主宰、松田実行委員長、矢沢事務局長、萩原総務部長、顧問の中嶋さんはじめ、実行委員会の皆さん、根子岳コースの主班長堀内さんはじめ役員の方々、講演をいただきました講師の方々。歌声をリードして下さいました神谷さん、大変お世話様になりました。ありがとうございました。

 


坂口登山フェスティバルに参加して


元日山協自然保護委員長

熊谷山岳会

長谷川 茂

 17回坂口登山フェスティバルからの帰路での「充実の安堵感」を、ご報告します。

 積年の松田顧問との、参加依頼のお約束が実現できました。大変ありがとうございました。「新参者」ですが、臆せず過す事ができたのも、山を通じて親交のある諸先輩が多かったのと、「群馬の恩人、長作兄さんご夫妻」を、ホテル・ロビーでお見かけした時には、心の準備にスイッチが入った感覚を味わいました。そんな事もあり、本来なら最初の夕食は味がわからない位に「ドキドキ」する筈でしたが、さっそくの洗礼は「筧十蔵役」です。

 大変な大役が待って居ました。「度胸千里」とはよく言ったもの。何につけても、とかくお顔合わせから、心合わせと成るのが常。それなのに事務方(矢沢女史)のご配慮か差し金か、有ろう筈のない配役に、一気の力合わせ!恐れ入りました。の、成行きには、今振り返っても感謝感謝です。行動を共にした同室の諸兄にも恵まれました。大分の首藤さん、愛媛の西田さん、高知の麻田さんとも、大恩の旧交を肴に、たのしい時間をすごす事が出来ました。ほんの一端ですが、第63回チャレンジ!大分国体の最高責任者が首藤さん。

 私は当時競技副審判長を仰せ付かっていました。愛媛の西田さんには、岳連会長をご勇退された直後に開催した、日山協「自然保護指導委員会総会:愛媛新居浜大会(別子銅山)」で、なり立て委員長の私を、開催県の調整から支えて頂きました。高知の麻田さんは、高知国体の開催県からの派遣役員当時に、チョクチョク渋谷駅界隈で、それこそお世話に成りました。

 大会主宰の坂口三郎先輩(先生は封印)や、実行委員長松田顧問にも、ニコニコしながら沢山いじって頂きました。名湯に、心の鱗がはげ落ちる様に癒されましたし、名峰:四阿山、花の根子岳、展望・遠景を満喫することも出来ました。写真撮影に夢中になり「グローブを置き忘れ??」の一幕付き。どんだけ楽しかったのか、想定外にはしゃげました。

 下支えする気配りの数々を目の当たりにして、阿吽で連携。淡々とこなす、役員の皆さんが「真田十勇士」に見えました。本音です。追伸、「継続は力なり」を、安全第一に実践して見せた「長野県山岳連盟のみなさま。」重ねて、大変ありがとうございました。是非、ご自愛のほど、よろしくお願い致します。

 更なる、ご活躍をお祈りしつつ筆を置きます。

 


トレッキング・観光コースに参加して


東京都山岳連盟

登歩渓流会

澁澤 由紀子

 SMFの参加申込書を書く時点では膝の調子は良くなっていたので、1日目は菅平高原トレッキングコースにして、2日目は十観山コースを歩きたいなとの思いは有りましたが、雨の時期でも有り、雨に降られたら滑り易くなるので無理かも知れないと思い、観光コースでの参加となりました。

 1日目は四阿山や根子岳に向かう人達を送ったバスが戻って来てから、ゆっくりホテルを出発し、ダボスの丘駐車場からスキー場の草原に入りました。

 やまぼうし自然学校の加々美さんの御案内でスキー場のスロープをジグザグに登りながら花を見つけては、お話をして下さいました。菅平の自然が大好きと云われる加々美さんのお話は、単に花や木の名前だけでなく、名前の由来や生態環境の問題等、豊かな知識から繰り出され、興味深いもので参加者はメモしたり写真を撮ったりそれぞれのペースで進み、シュナイダー記念塔やダボスの塔へ上がっていきました。

 天候も少しずつ快方に向いリフト上部の平らな所に座って、菅平高原のラクビー場や、陸上トラック、体育館等のスポーツ施設を眼下に眺めながら休憩していると、牧場の少し上位までしか見えなかった根子岳方面のガスが上がってきて、頂上迄見える様になり更に暫く眺めていると四阿山迄くっきり見える様になって、青空とはならなかったが大変すばらしい景色となって皆で歓声を上げました。

 ガイドさんが見せたい花が有ると云うので、ゲレンデの深い草原の中をトラバース気味に下って行きましたが、花は終わっていました。短い時間でしたが広々とした菅平の自然を満喫しました。一旦ホテルに戻り、バスで上田城見学に向かいました。

 2日目は朝食後、十観山に登る人も一緒に歩いて安楽寺に行き、座禅体験に参加しました。短い時間でしたが貴重な体験でした。観光コースの人は北向観音堂に参ってから、バスで塩田平方面の観光に向かいました。小雨が降ったり止んだりなので観光客は少なく、由緒ある中禅寺や前山寺、塩野神社等を廻りましたが、静寂につつまれた境内をゆっくり拝観することが出来ました。この地域には他にも沢山の寺院が残されている様です。とても良い街で心に残りました。これからも参加したいと思います。

 


信州上田SMF後記


四阿山 2班SL

茨城県山岳連盟 葵山岳会

白石 忠男

 SMFもついに17回を迎えました。私はというと今度で参加回数を12回としました。

 SMFを知った動機は、茨城県山岳連盟50周年記念行事で長野県山岳連盟に招待状を送ったことです。長野県山岳連盟からは松田顧問、矢澤裕子さん他数名が参加してくれました。私が長野県小県郡東部町(今の東御市)出身ということで知己になりました。

 次年、SMFのお知らせが届き、それ以来です。あの頃は皆さん若かったなあ。

 今年の登山対象は根子岳、四阿山でした。両方とも、遥か60年も昔のこと、記憶が薄いのですが、登山ルートはというと、湯の丸〜烏帽子岳〜鳥居峠〜的岩山経由からでした。今回の宿泊も上田市の真田・菅平と別所温泉、よく知った庭みたいです。信州上田というと、真田幸村が有名です。NHKの大河ドラマで取り上げられ、一時、上田は全国に名を知られました。今回のSMFは全国から集まった人達のために、上田おもてなし武将隊による迫力ある演武が豪快に演じられ、また宮坂浪子さん御手製の真田十勇士ハッピを着て口上をのべました。素晴らしい企画でびっくりしました。SMF事務局の用意周到の準備に、感謝々です。今回もデジカメで写真を沢山とるつもりでしたが、上田おもてなし武将隊による迫力ある演武を動画で撮影したため、SDカードがフルになってしまい、替えのSDカードも無くこれ以降撮影できませんでした。バッテリーの予備はしていたのですが、SDカードまで考慮しませんでした。

 根子岳、四阿山登山の日です。小雨降る中出発しましたが、雨もやみ快調に登っていきました。振り返ってみると、白く見える広大な菅平高原のレタス畑と群馬県の嬬恋村の広大な畑が広がっていました。四阿山の頂上からは、上田市街、鳥居峠、私の故郷方面の烏帽子岳、湯の丸山と三方ガ峰(SMFで以前登山したことがあります)がよく見えました。四阿山と根子岳最低鞍部までの下りは展望がきかず、急傾斜・悪路で苦労しました。想像以上でした。下り1時間で膝が諤々になってしまい、四阿山と根子岳最低鞍部からの長い登りが大変でした。根子岳山頂からの展望も素晴らしかったのですが、写真が撮れませんでした。根子岳山頂からの下りは、60年前は草原を下ったような気がします。笹や樹木が大きくなったようです。根子岳山頂から北方向にアイスクライミングで有名な米子不動の滝群を見られるかと思ったのですが、わかりませんでした。

 菅平スイスホテルへ帰り、別所温泉・南條旅館へ向かいました。別所温泉は従兄弟(坂中土産店)がおり、小さいときからよく行きました。上田から別所温泉へ電車で行きました。正月に北向観音や八角三重塔の写真を撮りによくいきました。懐かしさでいっぱいです。皆様、別所温泉に出かけたときはぜひ御立ち寄り下さい。南條旅館は昔、天皇陛下がお泊りになったとか、庭園が素晴らしかったです。唯一、困ったのは旅館のなかで部屋番号が分り難く迷子になったことです。夜の歓迎会で来賓祝辞の席で、北ア白馬診療所に毎年診療に出かけているという飯田泰人先生(昭和51年度昭和大学医学部卒業)の話を聞きました。私の息子(平成14年度昭和大学医学部卒業)も昭和大学医学部在学中から北ア白馬診療所に毎年出かけていました。最近は忙しく行っていないようです。私も矢澤さんもびっくりしていました。世の中狭いとはこのことですね。息子に誘われて、北ア白馬診療所に3日ぐらい滞在したことがありました。このときは、息子と一緒に栂池から天狗原、白馬大池をへて、三国境をすぎると学生達が何人か迎えに来てくれました。帰りは白馬大雪渓を降りました。今度、長野へ帰る時は、上田市上田原の飯田整形ペインクリニックを是非訪ねてみようと思います。青木村といえば、修那羅の石仏は有名で石仏の写真集が何冊もでています。私も、帰郷したときに何回も写真を撮りにいきました。ここは、修那羅大天武と称する一修験行者が江戸時代末期の安政年間に、土地の人々の熱望により雨乞いの法修得し信頼を得て、人々の信仰を集めたのが始まりだそうです。ここには、およそ860体の石仏像が立ち並び、其のうち、230体ほどが石神仏像で、ユニークな表現の像や他に類を見ない異形像などが多く、非常に魅力的な石仏群です。皆さんも一度は行ってみて下さい。青木村、塩田平と別所温泉は昔から雨が少ない地域で、別所温泉では、昔から雨乞いが行われており、私たちが、別所温泉に宿泊していた時にお祭り「岳の幟」が丁度行われ、歓迎会の時、窓から見えました。また、塩田平には、溜池がたくさんあり、日照りの時に備えてきました。

 最終日は、あいにくの大雨、非常に残念です。夜半から、雨音が激しく聞こえてきました。私は弘法山グループでしたが、雨のため危険ということで中止となり「十観山コース」と合流することになりました。登山の前に安楽寺で座禅体験をしました。初めての体験でしたが、静寂の中で無心に座禅をするなんて、邪念が取り払われるようでした。前日に弘法山の登山ルート工作を担当されたかたは、ご苦労さまでした。

 塩田平の周辺に、修験僧が登った山が沢山あることをしりました。私の実家からは、塩田平がよく見えます。登ったのは独鈷山だけでした。帰郷のおりには、皆様と都合つけて、一緒に登りたいと思います。塩田周辺の山の案内がありましたら教えて下さい。

 来年のSMFを楽しみにしております。

 


根子岳(2,207m)、十観山(1,284m)

カラフトイバラを見られました


京都 亀山山岳会

湯浅 博

  5年ぶりに長野の登山大会に参加した。(以前雄踏第230号、第243号に投稿)

 前二回はいずれも一番ハードなコースにしていたが今回は第二ランクにした。13日は登り2時間、全行程5時間の根子岳(2,207m)、14日は登り1時間、全行程2時間の十観山(1,284m)。参加者は5年前は111名、今回は70名で前回までは参加者の年齢が記入されていたが、今回は削除されていたのでプラス5すると最高齢は92歳の坂口会長で、私達と同じコースに登録されていた。前回顔見知りになった人々にもお会いしまるで同窓会のようだった。

 7月12日晴れ時々曇り、京都10:59発ひかりで名古屋まで行き、12:00発のしなのの車中を楽しみにしていたが、車内販売はなしという冷たいアナウンス、急いで売店へ駆け込みサンドイッチとビールを買い乗り込んだ。「寝覚めの床」などの名所案内もなく、塩尻あたりのリンゴやブドウの畑を懐かしげに眺めていた。事前に乗り換えの篠ノ井では3分しかないのを知っていたので、途中の単線区間で行き違い列車待ちをしたときはヤキモキした。姨捨駅近くで「このあたりの田毎の月は何とか百景です」とのアナウンスが入った。篠ノ井では結局1分くらいしかなく階段を1段とばしに駆け上がり、電車に到着したがドアは閉まっていて、次まで30分くらい待たねばと思ったところドアが開いた。冷房を保つために閉めていたのでした。上田駅に着き前回も一緒に参加した清水氏と無事会えた。彼の車で菅平に向かって行くとシラカバの林が見えてきた。お陰で5時の歓迎会・夕食には十分間に合ったが、受付で事務局の矢沢さんに聞くと我々が最後の方だった。歓迎会はなかなか賑やかで、アトラクションで真田一族に扮している中に、前回同じ班で歩き高山植物をいろいろ教えてくれたネパールのシェルパのラマ・ゲルさんも混じっていた。名簿で参加者を照合していると高山病の権威中島先生、一緒に歌った山口の武永さん、同室で毎年干支の字の山に登っている群馬の斎藤さん等はすぐに分かった。

 7月13日曇り、7:30バスで出発、8:00登山口着、2班合同で記念写真を撮りストレッチをして我々1班から歩き出した。霧のかかった牧場の横の自然保護のための階段を登って行くと、レンゲツツジの横にバラの灌木が見えた、これが北海道とこの根子岳にしか見られないカラフトイバラだった。あちこちにアヤメの群落も多くあった。8:30あずまやで休憩し水分補給をした。その後の登りでシラカバとダケカンバの違いについて説明を受けた。(シラカバの方が低い高度にあり、年平均気温4度でダケカンバとの境になり、直立し寿命は80年。ダケカンバは枝が多く伸び200年くらい生きるそうです。)リーダーはなかなか植物に詳しかった。そこからナナカマドなどを見ながら石の多いダラダラ登りで、すこしづつ遅れ出し10:15に頂上に到着。すぐに写真撮影、わずか10分で昼食場所へ向け歩き出した。途中道が大きく抉られた部分が長くあり迂回路を行った。温厚な紳士といろいろ話しながら最後尾を歩くことになったが、その方は大分山岳連盟の顧問(前会長)の首藤氏と後で知った。11:45にやっと昼食となった。朝配られた二個のおにぎりは中にツナなどの具があり美味しかった。12:10に出発し、すぐ近くに草を食んでいる乳牛やヤギのいる牧場の横の道を下った。その縁にはミヤマタンポポと青い花の群落が美しかった。13:30にバスの駐車場に着いた。その後朝の宿舎にもどり、自家用車の人は各自車で上田城まで行きガイドの説明を聴き見学して、今夜の宿泊所へ行きなさいと判断した。(実は自家用車は明日のお別れ会のホテルの駐車場に止めて、というのを聴き落とし我々だけが自分の車で今夜の宿舎へ行ってしまった。)その夜は、岐阜県山岳連盟の二人と同室だった。山ガールの服装やあちこちの山小屋のトイレなどについて話をした。

 

 7月14日4時に目が覚めて朝風呂に行くとスタッフ二人が入られていて、そのうちの一人は前回もいろいろお世話になった委員長の松田氏だった。彼が「湯浅さん何年ぶり」と声をかけてくださった。覚えていてくださったのだ。外の露天風呂へ行くと大粒の雨が落ちてきた。前夜からの当地の雨乞いの祭りの御利益があったのだ。この別所温泉の宿舎は、かつて浩宮殿下(現天皇陛下)が泊まられたそうだ。朝食後各班が出発となったが予定より時間が遅れた。ロビーはゆったりしていて蓄音機が置いてあり、多くのLPレコードがあり1967年のビートルズを掛けてもらった。青木村にある十観山へ向かった。昆虫館に車を止め雨の中、滑りやすい道に注意しながら同じコースを往復2時間歩いた。山頂近くにハングライダーの飛び出し場があり、晴れていれば眺望もあったのにと残念だった。次の日に宇都宮へ中世の豪族宇都宮一族のことを調べに行くので、栃木山岳会の糸井氏にいろいろ聞き大いに役立った。できれば来年も参加したいと思っている。

 

前ページ」  「次ページ