今年の坂口登山フェスティバルは第15回を数える。15という数それなりの歴史だ。
継続の力は一体何なのだろうか?一つ言えることは参加する人の心と気持ちを汲みとった主催者の企画力(サービス魂)だろう。ただ、いくら企画力がいいと言っても、こう何年も続くとは考えづらい。行きたい理由を考えるに、登りたい、仲間に会いたいというだけでは理解に遠い。目的の山の選択、旅の要素とエンターテイメント・・・・主催側の努力を足したところで、いくばくかの力にはなってもウーンである。とすると最大の吸引力は何なのだろうか。ある種の帰属意識と、魅力的な人が集う会だからか?そう考えた先に見えたのは、主催者松田さんの魅力ある人間力だと思った。皆、彼が好きなのだ。坂口登山フェスティバルの経緯は周知のこととして、その主宰の坂口さん初め、脇を固めている多くのスタッフ一人一人が、松田さんの心意気といえるこの大会に寄せる力強い気持ちを理解し、自らのものとして行動する素晴らしいチーム、これも皆大好きなのである。そういう仲間を集められる彼の人となり人望の厚さ、おおらかな心、そして芯の強さが、この会をさらに継続させる核になるのだとつくづく感じた。人の楽しみ悦びの順番は『好きなこと、好きな人、好きな物』これは昔から普遍なことで、お金の使い方も同じ順番だという。開催マニュアルには実行委員会の任務が約70人分記載される。これだけ招集するだけでも相当のことで、開催することの大変さや難しさは並み大抵のことではない。それを毎年である。楽しませてくれるこういったイベントは今や他にない。
松田さんの毎年開催を乗り切るモチベーションは一体何なのだろうか?全国から集まる百人に垂んとする(彼の魅力が創り出す)この会に惹きつけられた人たちのパワー、ぐるぐると繋がっていく人の輪のサイクル??
今年は日程が繰り上がり、私の予定から1日のずれが生じてしまった。いつものアラスカ・デナリの気象観測登山からの帰国航空便の都合でだ。今年も無事の登頂ではあったが、予想外の温暖にて積雪の多さにもまし、クレバスの発達が著しく、危険と隣り合わせの苦労の下山だった。チケットの変更は無理だったが、当日の午後3時ごろには成田に着く予定で、何とか前夜祭の終わる前に会場に駆けつけられると、移動のプランを機上で練った。この会には何としても出席せねばという人好きな私の義務感もあり、心は早や、待っていてくれる仲間のいる唐松岳の山麓に。
迎いの車を頼みに、成田からJR大宮駅へ、そこから北陸新幹線で長野へ、バスで白馬へと考えた。前夜祭後の2次会には間に合うだろうと・・・大宮まで午後の渋滞で手間取ったが、運よく"かがやき"に飛び乗ることができ、長野まで一直線。最終バスが午後8時すぎ、待っていたら間に合わない。ためらわずタクシーに乗車。イケイケで一路白馬へ。こういう時は信号ひとつでもイライラ感が増す。皆に会いたい一心とは一体何だろうと思った。男女問わずのデートのワクワク感か?
この会はそこに集う人に会うために行くのだということを明瞭に思った。山登りと同等それ以上に思っていてくれる人、待っていてくれる人が大事と、心の底から思った。タクシーのおかげで前夜祭が終わる寸前に皆さんに合うことができ、本当に嬉しかった。
失敗は登山用具の準備がままならない状況で移動してしまい、登山靴、雨具など必需品を持たないまま、翌日八方尾根に臨むことになってしまったことだ。傘で行くわけにもいかず、レインウエアを手に入れる時間もなく、晴天を祈るのみとなった。
翌日は大雨、唐松岳へは行けるところまでと、ゴンドラリフト駅へ。構内の売店でビニールのレインウエアを見つけた。ペラペラと思いきや、しっかりと出来ていて、お値段はそれなりにリーズナブル。思ったより丈夫、使えてありがたかった。でも登山班の総括隊長としては、お恥ずかしい限り、ビニールガッパはやめましょうとずっと言ってきた手前これからそう言いづらくなった。でも皆、そこのところは了解してくれると信じ、恥ずかしながらの朝の挨拶となった。矢沢さんにはやんわりとお小言を頂戴。あ〜あである。
白馬での大会なので、地元の有力者でもある松沢さんや旧知の降籏さんにも会えて気分はウキウキ、ひと月もアラスカにいたので嬉しさ倍増となった。このところ常連の中嶋さん、荻原さんや多くのスタッフの努力で、安全に八方池までの雨天行動ができた。霧と大雨の山行は、八方池で終了としたが雪渓の浮かぶ池と残雪の八方尾根は、広大な氷河に囲まれた北米のデナリとは趣を異とし、日本の優しい自然が印象的であった。
雨ザンザンの八方池山荘での2日目滞在は、それなりに楽しい時間で、クラブの大先輩、今井(通子)先生のお話や、降籏さんお思い出話を雨の音とともに拝聴。久々のゆったりとした時間が持ててうれしい山登りとなった。
これも人の繋がりの妙で、すでにもう来年はどこで会えるのかなと、人と会える楽しみが優先する私がいた。いずれにせよ集いの平均年齢は古希に・・・という状況。無理やり頂上はいかずともの山行が、ひとつくらいあってもよいと思われるひとときであった。
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